2012/08/27

17年間


 日本でプロ選手としてのキャリアをスタートし、その後は幸運にも数ヶ国でプレーをする事ができた。 ジェフ、ヴェルディ、セレッソ、ザスパとそれぞれの色のある素晴らしいクラブに在籍してプレー出来た事を幸せに思う。

 海外では多様な宗教や文化、自分の知らない考え方と価値観を持つ人々の中で生活をして、常に不公平とチャンスの中にいた。 自分がそれまでに培って支えにしてきた知識や価値観は、時に身動きを鈍くするという事も知った。 

 日本でも海外でも様々な街に暮らした。そこに住んで初めて分かる事、違和感のように感じていた事は、少しずつ理由を知ると共にいつのまにかその土地への愛着へと変わっていった。重石を自分で取り払ったのか、周りの人々に知らぬ間に取り払われたのか、現地の暮らしに馴染み、サッカー以外の余計なものに囚われず、大切な家族と多くの時間を過ごしていると、サッカーと自分の間にある贅肉が削ぎ落とされていくのを感じる。

 そこに行かなければ見えない景色を見た事、そこでプレーしなければ分からない理屈を感じた事、そしてそれぞれの場所で多くの友人と出会った事は今の自分の財産である。

 アメリカでの2シーズンも最後の最後まで本当に面白かった。昨夜のホームゲームは自分の現役最後のものとなったが、最後のゲームを家族の前でプレー出来た幸運を嬉しく思う。 17年間のプロ選手としてのキャリアを終える事にはなるが、それは、これから第二の人生を歩むという事ではなく、これまでそうして来たように、これからも限りある一度の人生を家族とサッカーに寄り添って生きていくという事だと思う。 

 これまで長く自分を支えてくれていた本当に多くの人々に深く感謝しながら、これからも自分らしくサッカーを続けていきたい。

2011/04/24

交代枠



 これまでいくつかの国でプレーしてきて、思わぬサプライズに出くわす事も多かった。様々な経験をしてきたつもりだが、昨日の試合で味方の3人の交代が終えた後に、4人目と5人目の途中交代選手が入ってきたのには、ピッチにいながらも驚いた。個人的には、この5人枠の制度には賛成だ。昨日の試合でも4人目の選手のアシストで5人目の選手が試合を決めて人々の興奮を呼んでいた。

 もう一つ、驚きに値するアウェイ遠征用のチームバス。
http://www.richmondkickers.com/Bus/index_E.html
http://www.richmondkickers.com/Bus/Amenities/index_E.html

 来週末は初めてのアウェイでのゲームになる。

2011/04/11

Richmond


 ホームでのピッツバーグ戦、後半の残り30分ほどの出場ではあったが、アメリカでのキャリアをスタートする事が出来た。ここまで、チームとの契約や渡米の準備、日本でのトレーニングなどを含めて移籍に協力してくれたすべての人に改めて感謝をしたい。

 アメリカが自分にとって6カ国目のキャリアになる。これまで、どこの食べ物が美味しかったか?どこの国のサッカーが楽しかったか?という事を聞かれる事が多くあった。各地の食事をあれこれ思い出しながら悩み、いくつかの答えを出す。しかし後でまじめに考えてみると、結局は空腹や渇きを満たした食事が一番だったのかとも思う。日本でも、世界のどこの国に行っても、自分にサッカーに対する渇きがある限り、どんな環境でも、サッカーとそれに付随する多くの出来事が自分を潤してくれる。交代でサイドラインに立った時、そして勝利の試合終了ホイッスルをピッチで聞いた時に、そんな事を強く感じた。

 チームに合流してから1週間が経ったが、チーム関係者やチームメイトの助けもあり、家族と共に順調にアメリカでの生活に慣れる事が出来ている。役所関係の書類のやり取りなど細かい作業を進めなければならない面倒な部分もあるが、季節も過ごしやすくなってくるこれからの生活も楽しみだ。次の金曜日はホーム4連戦の3試合目になる。

2011/03/15

2011


 震災の影響で3月中のJリーグ全試合が中止になった。しばらくは混乱と不安の中でサッカーどころでは無いという日が続くのかも知れない。本当に大変な状況ではあるが、サッカーファンが再びJリーグに熱中できる様な日常に、早く戻れる事を心から祈っている。苦境や困難に立ち向かう時、人と人と心のつながりやコミュニテイの結びつきの強さは、目に見える、そして見えない力となって必ず厳しい立場の人々の助けになれるはずだ。サッカーファンの輪の中心に存在するサッカークラブが、震災で苦しい思いをしている多くの人々を助ける動きの中心になれると信じている。

 現在、アメリカサッカー協会の承認と労働許可の承認待ちではあるが、今シーズンをアメリカ独立リーグ(USL)のリッチモンドでプレーする事が決まった。これまで日本から南米、ヨーロッパと渡り、その後6シーズン余りを再び日本でプレーしてきたが、このタイミングでまた知らない土地でプレー出来るチャンスを大切に思う。そして、今回の移籍に直接・間接的に関わってくれた全ての人に深く感謝したい。

 南米のやヨーロッパの国々のサッカーのシステムは、それぞれ独特で特徴があり不規則で歪な形に見える。しかし、現実にはお金や選手の動きが動脈となって、まるで根幹には同じ価値観を持ってるかのように、それぞれが上手く輪郭を溶かし合い、大きなフットボールパズルの1ピースとしてピタリとはまっていく。理不尽ささえも魅力的に魅せてしまうサッカーは、人々の人生に深く染みていた。

 そんな南米やヨーロッパの良い部分を取り入れて急速に発展してきた日本のサッカーは、これからもこれまでと同じように、パズルにはハマらない形を目指していくだろう。今回移籍の決まったアメリカのサッカーも、外から見た限りでは日本と同じように独立したピースなのかもしれない。2022年のワールドカップ誘致では、新興の1ピースであるカタールとロシアに同じように敗れた2つのサッカー。そんなスタンスは似ていても未知なアメリカで、今シーズンはプレーする。

2010/11/30

最終節


 サッカーに触れていると、時に様々な苦しさが付き纏う。残留や昇格の争いだったり、自分の愛するクラブがなかなか前に進めずにもがいたり。選手もファンもクラブも、ボールが気まぐれに動く度に歯を食いしばり、目の前の敗戦にも、ライバルクラブの躍進にも心が曇る。しかし、サッカーの本質から、こんこんと無限のように溢れ出してくるのは、人を夢中にさせる喜びや感動だけだ。この3試合、ザスパ草津が戦うピッチには、サッカーをプレーする喜びと、そこに立ち会い共に戦うサポーターの喜びが溢れていた。最終節を迎える今、自分がザスパの一員としてこのクラブの原点ともするべき状況に身を置けることを嬉しく思う。

 思えば、サッカーをやっていて一番苦しかった時、自分はブラジルにいた。日韓ワールドカップが開催される中で国内リーグも並行して行われていて、人々はまさにサッカー漬け。しかし、その熱狂はどこかからの借り物のようにやって来たのではなく、ボールと人のあるところに溢れ出る熱として、超然と存在していた。当時、自分の周りには給料未払いで苦しむチームメイトやスタッフ、クラブに住みこんでチャンスを掴もうと必死の若手選手たちがいた。クラブに集まる様々な人間の中心にサッカーがあって、苦しい状況の中でも熱が生まれて、皆が生きていくエネルギーになる。前に進めずにもがいていた自分に、ブラジルはサッカーの奥の深い楽しさを教えてくれた。

 プロサッカーの無かった地域に小さく生まれて、サッカーが日常に無かった人々を巻き込んで、ここまで戦ってきたザスパ草津。力強く無限の湧出量を誇る草津温泉の湯のように、喜びや感動の湧き止まないクラブでありつづけるようにと願いを込めて、最終節に臨みたい。